
2020年8月21日午前4時30分。ロンドンの暗い部屋でノートパソコンの画面を見つめていたデビッド・スチュワートは、抑えきれない涙を流した。画面ではBTSの「Dynamite」のミュージックビデオが世界中に広がっていた。実家の寝室でノートパソコン一台で作ったこの曲が、自分の人生を完全に変えるという直感、そして過去12年間ソファを転々としながら耐えてきた無名の生活が終わったという安堵感が彼を襲った。彼は後にRollingStoneとのインタビューで「自分が注ぎ込んだ時間、本当の血と汗と涙、ソファで寝ていた日々や旅行が思い出されて、ただ泣いた」と語った。
スチュワートの音楽人生は決して華やかな道ではなかった。俳優で歌手の父とダンサー出身の母のもとで芸術的感性を育んだが、現実の壁は高かった。イギリスのバンドのドラムセッションから始まり、500回以上の公演ステージにギタリストとして立ったが、スポットライトは常に他人のものだった。2010年代中頃、チャンスを求めてアトランタに向かっても地獄のような生活は続いた。1日に2〜3回の徹夜セッションをこなしながら数百曲を書いたが、手に入れたのはお金ではなくボーカルプロダクション技術だけだった。イギリスに戻った後も無名作曲家としての生活は厳しかった。

転機は2020年の新型コロナウイルス感染症の封鎖とともに訪れた。行き場を失ったスチュワートは、実家の寝室に居を構えた。華やかなスタジオの代わりにノートパソコンとオーディオインターフェース一つだけの貧弱な環境だった。その時、業界に「BTSが初の英語シングルを探している」という噂が流れ始めた。アメリカの有名プロデューサーたちが皆この「聖杯」を手に入れるために駆けつけた。勝者は寝室でZoomでパートナーと頭を合わせたスチュワートだった。彼はドラムからベース、ピアノ、バックグラウンドボーカルまで、すべての音を自分の部屋で直接演奏し録音し、全力を尽くした。
曲作りの中での神の一手は歌詞の修正だった。元々「So call me Mr. Dynamite」だった歌詞を口に馴染む「Light It Up Like Dynamite」に変えた。彼はこれを耳をくすぐる「キラキラした歌詞」と呼んだ。意味よりも音響的インパクトが重要だという彼の哲学が的中したのだ。最初は他の曲を選んでいたBTS側が2週間後に「Dynamiteを選んだ、これは1位の曲になる」と確約を送ってきた時、彼は自分の運命が変わったことを直感した。

「Dynamite」は文字通り爆発した。YouTubeの再生回数は1億ビューを一気に突破し、韓国のアーティストとして初めてBillboard Hot100の1位に輝いた。ジョージ・クルーニーが歌詞を朗読し、世界中が振り付けチャレンジに参加する中、親に「お願いだから大きなことが一つだけ起きてほしい」と祈っていた作曲家は成層圏へと飛び立った。この曲一つで得た著作権料は最低でも100億ウォン(約10億4,750万円)以上。スチュワートは曲の成功直後にロサンゼルスの高級住宅街に47億ウォン(約4億9,232万5,000円)相当の豪邸を購入し、「BTS宝くじ」に当選したことを現実に証明した。
今、彼はアリアナ・グランデが住む街で自分だけの本格的なスタジオを整え、Ed Sheeran、BTSジョングクなどのトップスターたちと共に作業するポップ界の巨星となった。Spotifyでの21億ストリーミングという大記録は今も更新中だ。12年間他人の家のソファで眠りながら耐えてきた無名作曲家の切実な思いが、寝室という狭い空間で世界を揺るがす奇跡を生み出した。
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