公開から30年近くが経った米国の法廷映画が、Netflixで新たに注目を浴びている。

先月、韓国Netflixに追加された1996年公開の映画『評決のとき』が、12日午後時点で「今日の映画」部門トップ5にランクインした。数多くの新作やブロックバスターが並ぶ中で、1990年代の作品が再び脚光を浴びる理由に関心が集まっている。
1996年の映画が今、再評価される理由
『評決のとき』は、米国南部に根強く残る人種差別と法の正義を正面から描いた作品だ。原作はジョン・グリシャムの同名ベストセラー小説で、『依頼人』(1994年)を手掛けたジョエル・シュマッカーが監督を務めた。
出演者も豪華だ。サミュエル・L・ジャクソン、マシュー・マコノヒー、サンドラ・ブロック、ケヴィン・スペイシー、ドナルド・サザーランド、キーファー・サザーランドら、1990年代のハリウッドを代表する俳優が総出演している。さらに、後にアカデミー賞女優となるオクタヴィア・スペンサーの映画デビュー作としても知られている。
本作は1997年、第54回ゴールデングローブ賞でサミュエル・L・ジャクソンが助演男優賞候補にノミネートされるなど、批評家からも高い評価を受けた。韓国ではNAVER映画基準で観客評価8.48点を獲得しており、法廷ジャンルの中でも上位に位置している。
人種差別と正義…今なお突きつける問い

物語は単純ながら強烈だ。ミシシッピ州の小さな町で、10歳の黒人少女が白人の男2人に誘拐され暴行を受ける。少女の父親カール・リー・ヘイリー(サミュエル・L・ジャクソン)は法の裁きを信じられず、裁判所の階段で加害者2人を射殺した。逮捕された彼の弁護を、経験の浅い白人弁護士ジェイク・ブリガンス(マシュー・マコノヒー)が引き受けることになる。
裁かれるのは単なる殺人ではなく「正義とは誰のものか」「法は人種を超えられるのか」という倫理的テーマである。映画は法廷での論戦を超え、人種間の対立や地域社会に根づく偏見、そして人間の良心の揺らぎを深く掘り下げている。
特に映画後半のジェイクによる最終弁論は、法廷映画史に残る名場面として知られる。ジェイクは陪審員に「目を閉じて想像してほしい。10歳の少女が暴行を受け、森に捨てられた。そして、その少女が白人だったら」この一言が裁判の流れを覆し、観客の感情をも揺さぶる。
法廷内外の対立…90年代映画が描く生々しい現実感

『評決のとき』は単なる法廷劇ではない。法廷内の攻防と並行して、外では白人至上主義団体クー・クラックス・クランが暗躍している。カールを弁護するジェイクは脅迫や放火、暴行にさらされながらも信念を貫く。その傍らで、法学部生エレン(サンドラ・ブロック)が助力し、人間の勇気と連帯を象徴する存在として描かれる。
作品は、制度的差別が残る南部社会の空気をリアルに再現した。裁判所前での黒人・白人双方のデモ、暴力事件、そして煽情的な報道など、1996年当時の風景でありながら、2025年の現実とも重なる描写が観る者に重い問いを投げかける。
なぜ今『評決のとき』なのか…法と正義の隙間、そして人間の選択
『評決のとき』は、単なる復讐劇や裁判ものにとどまらない。社会構造の歪み、人種問題、人間の感情が複雑に絡み合う中で、「法と正義の狭間に立つ人間の選択」を描く。
1996年当時はアメリカ南部の人種現実を映した作品として評価されたが、いま再び注目を集めるのは「システムの中で正義を実現できるのか」という普遍的なテーマが現代にも響くからだ。
30年を経ても変わらぬ人間社会の本質を示しており、時が経っても色褪せない作品の力、そして私たちが今もなお「法廷の外」で正義を探し続ける事実を思い起こさせる、そんな作品が『評決のとき』である。

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