
スーパーマンの次に来るのは、なぜスーパーウーマンではなくスーパーガールなのか。
映画『スーパーガール』でも、ルーシー・メアリー・ノールが似たような疑問を口にする。
これに対し、スーパーガールことカーラ・ゾー=エルは、10歳の年の差があるからだとそっけなく答える。
カーラ・ゾー=エルは23歳だ。あえてスーパーウーマンではなくスーパーガールとして描くことで、若いヒーローならではの未完成さや新鮮さを前面に出そうとしたのだろう。
その方向性は、これまでのヒーロー像とは少し違う。やや反抗的で、どこかシニカルなヒーローだ。
本作のキャッチコピー「Truth, Justice, Whatever」からも、その性格はうかがえる。スーパーマンの象徴的な言葉「Truth, Justice, And A Better Tomorrow」をもじったもので、直訳すれば「真実、正義、あとは適当に」といったところだ。
つまり、カーラはスーパーマンのようにすべての人を救おうとする、まっすぐな理想主義者ではない。より良い明日を信じて突き進むヒーローというより、今この瞬間をどうにか生き抜いている若者に近い。
劇中のカーラは、家族のために復讐しようとするルーシーの事情にも、最初から深く関わろうとはしない。黄色い丘のクレムを追うのも、ルーシーのためというより、自分にとって何より大切なクリプトを救うためだ。
酒と音楽に浸るように生きるという設定も含め、映画は少し荒れた若いヒーロー像を意識的に作り込んでいる。激しいガールバンドの楽曲、エレクトロニックな演出、印象的な効果音、サングラスなどの小道具、くたびれた雰囲気のビジュアルまで、コンセプトを徹底した映像づくりは本作の大きな強みだ。


ただし、『スーパーガール』は問題児が我が道を行くだけの物語ではない。むしろ、カーラが真のヒーローとして生まれ変わっていく成長ストーリーだ。
カーラは孤独に生きることを本当は望んでいない。友人や仲間を求めており、誰かとつながりたいという思いを抱えている。
そして、スーパーガールもまたスーパーマンと同じ「スーパー」の名を持つ存在だ。結局のところ、カーラは善良な心に従って動く。ルーシーが自分を傷つけるような選択をしようとすれば必死に止め、危険にさらされた人々を助けようとする。
殻を破るように新たなヒーローとして生まれ変わる過程は、ヒーロー映画の第1作には欠かせない要素でもある。本作では、その構図がカーラによく合っている。苦しみや迷いを通り抜け、自分なりの答えを探す物語は、揺れ動く若者の自己形成にも重なるからだ。
それでも、少し物足りなさは残る。キャッチコピーや映画全体の斜に構えた空気を考えると、カーラをもっと頑固で反抗的な問題児として突き抜けさせてもよかったのではないか。
スーパーマンとはまったく違うキャラクターだと打ち出すなら、その違いを観客に納得させるために、さらに時間を割いてもよかった。終盤に近づくにつれ、観客はもう一人のスーパーマンが誕生する瞬間を見ているような感覚も覚える。
アクション映画としては見応えのある場面も多い。目から放つレーザー以外に、スーパーガールの能力が十分に見えない点は惜しいが、彼女が本来の力を発揮する場面には確かなカタルシスがある。
ジェイソン・モモアが演じるロボの魅力も見逃せない。マッチョで荒々しいキャラクターらしく、力任せに敵をなぎ倒していく姿は、本作に痛快さを加えている。

『スーパーガール』の監督は、『クルエラ』や『アイ,トーニャ 史上最大のスキャンダル』などを手がけたクレイグ・ギレスピー。個性的なキャラクターの物語を、密度の高い演出で見せることに定評がある監督だ。
さらに、『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』シリーズのジェームズ・ガンが制作を務めており、その色も随所に感じられる。主演のミリー・アルコックは、HBOドラマ『ハウス・オブ・ザ・ドラゴン』で注目を集めた俳優で、本作でも若いカーラの危うさと強さを体現している。
『スーパーガール』は、個性の強いキャラクターたち、スクリーンを押し広げるようなアクション、そしてLE SSERAFIMとのコラボ楽曲など、見どころの多い作品だ。
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