
東アジアの戦史を振り返ると、重要な戦闘を前に指揮官が兵士たちにお酒やお肉を振る舞ったという記録が繰り返し見られる。一見すると非合理的に思えるこの判断が、実は兵士たちの生存率を高めるための戦略的な選択だったという分析が、最近ネット上で注目を集めている。
かつてSNSに投稿された「なぜ前近代の兵士は、戦闘の前日にわざわざお酒やお肉を口にしたのか」という分析記事が、最近になって「エフェムコリア」など複数のオンラインコミュニティで再び取り上げられているのだ。
投稿者のA氏は「現代人でも、お酒やお肉をたくさん摂った翌日は体調がすぐれない」とし「それならば、戦闘に勝利した後に祝杯を挙げるほうが合理的なのでは?」という素朴な疑問から考察を始めたという。
「明日死ぬかもしれない。今日が最後の日になるかもしれない。だから飲み食いの楽しみを与え、心理的に士気を高める意味があるのだと思っていた」というA氏は「しかし年を重ねるうちに、この行動が極めて理にかなった戦略だったことに気づいた」と主張した。
A氏によると、お酒とお肉、そして前近代の農耕社会における兵士たちの主食であった炭水化物の組み合わせは、短期間で体重を増やすうえで最も効率的な食事だという。現代人は体重の増加を気にするが、前近代の一般兵士たち―主に平民以下の階層―は基本的に痩せていたのだ。
「成人男性がマラソンを完走すると、通常2~5kg体重が減ると言われている。戦闘も同様なのだ」とし「時代劇の映画やドラマでは戦闘が2時間程度で描かれることが多いが、実際には4~5時間は当たり前で、7~8時間、場合によっては翌日まで続くことも少なくなかった」と指摘した。このように、極度の体力消耗が避けられない状況下では、兵士たちがエネルギーを蓄えることが生存に直結する問題だったのだ。

代表的な例として、A氏は高麗と契丹が戦った「亀州大捷」を挙げた。
「当時、両軍は2泊3日にわたって昼夜を問わず戦った。マラソン1回で数kgの体重が減ると言われているが、この戦闘に参加した兵士たちの体力消耗は、私たちの日常では想像もできないレベルだったはずだ」と分析した。
さらに「現代人は安全な環境のもとで、精神労働やシステム化された肉体労働を行っている。この場合、二日酔いや体の重さは業務効率の妨げになる。しかし、前近代の兵士にはそうした概念自体がなかったのだ」とし「彼らは数十kgの装備を背負い、何時間も休むことなく戦い続けなければならなかった。目の前の敵を自ら刺さなければ、生き残れなかったからだ」と強調した。
つまり、二日酔いは耐えれば済む問題であり、本当の危険は「エネルギーの枯渇」だったということだ。
A氏は「戦いたくても体力がなければ戦えず、生きたいと思っても生き延びることができないのだ」と説明した。つまり、お酒とお肉はタンパク質・脂肪・カロリーを補給し、戦闘力を高めるための科学的な選択だったのだ。
実際、戦闘は莫大なエネルギーを消耗する活動である。
当時は戦闘中に食事をとることが難しかったり、食料そのものが不足していたりしたため、前日にあらかじめ栄養を蓄えておく戦略が必要だった。ただし、お酒に関しては飲みすぎを防ぐため、ある程度の統制が行われていたと考えられる。特に実戦経験の豊富な指揮官たちは、兵士たちの士気を高めつつも戦闘をきたさないよう、飲酒を適切にコントロールする術を心得ていたはずだ。また、当時の兵士たちはお酒に対する耐性が高かった可能性もある。
結局、戦闘前夜のお酒とお肉の提供は、単なるおもてなしではなく、兵士たちの心理的安定と身体的準備を目的とした戦争対策の一環だったと考えられるのだ。
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